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ひだまりすずめ 中山寒稀のブログ fuyuci7.exblog.jp

ライター、CFP              ゆる~く健康、人生、終活を語る!


by 中山寒稀

お久しぶりです!

お久しぶりです!_b0332373_19264593.jpg
こんにちは。
超ひさしぶりの更新です。

新型コロナによる不安な生活に終わりが見えないなか、なぜか最近、お花が欲しくなります。
枯れてしまうのがイヤで、あまり自分で買うことがなかったのですが……。花を飾ると、ちょっとほのぼのしますね。

これは、今日、近所のお花屋さんで買った、お買い得品。
小さなお花屋さんで、先客のおばあちゃんに戸を開けてあげたら、それを見ていたお店の人が、ピンクのカーネーションをオマケしてくれました。

うれしい(^^)

さてさて、再びゆるゆると更新していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします!

# by fuyuci_nacayama4 | 2020-09-01 19:27 | 徒然なるままに
書評『バブル世代教師が語る 平成経済30年史』_b0332373_16432895.jpg
私自身が著者と同じ年齢で、息子がこの本のベースになっているレポートを書いた生徒さんと同じ年齢という、ちょっと不思議な縁がある本。私自身、バブル期に就活をし、OLを経験しているので、当時の文化を堪能した世代。本当になつかしいことばかり。

本書では、未来の豊かさを信じて疑わなかった時代から、様々な出来事を引き金に驚くようなスピードで変化していくバブル期の日本経済をとらえています。

もちろん、当時、若者だった私は、一つひとつの出来事は覚えているのですが、時代の流れとして考えたことがないというのが正直なところ。
バブル経済の始まりから崩壊、そして、現在に至るまで時代の流れを、平成最後の若者と平成最初の若者である、親世代の感覚のギャップをベースに語っています。

”「『24時間タタカエマスカ』なんて、今なら単なるブラック企業じゃないですか」”

”「『よく働きよく遊んだ』と言っていました。」”

”「今の若者は『どうせ』『できないし』など後ろ向きな言葉が多い。行動力がない。その半面、昔と比べると地道な努力ができる若者も多い。」”

バブル期には、当然だと思ってたことが、客観的な今の若者目線で見ると、なんだかちょっと耳が痛い。ただ、その一方で、無難に手堅く生きる今の若者に、バブル世代としては、物足りなさを感じるのも事実なのです。

ちなみに、「24時間タタカエマスカ」は、ジャパニーズ・ビジネスマンをテーマにした、栄養ドリンク・リゲインのキャッチコピーですが、10年後にはこのようにかわります。

”1999年、「癒し」が流行語大賞トップテンに選ばれました。これは栄養ドリンク・リゲインからのテレビCMからのもので、「この曲をすべての疲れている人へ」というキャッチフレーズにあわせて流れる坂本龍一のピアノソロ曲<energy flow>から連想される言葉でした。”

また、「みんな私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣した社長の記者会見が印象的だった、山一證券の廃業。今では、日本史の教科書にも載っているそうです。そんな、バブル崩壊の象徴ともいえる出来事を語る、当時の社員の手記は非常に生々しく感じます。

「古き良き時代」というイメージしかなかった、バブル期の記憶ですが、本書で改めて振り返ってみると、バブルの崩壊は、来るべき時が来ただけだったのかもしれません。

”当時、日本企業がハリウッドやニューヨークの象徴を買い取ったことを「アメリカが日本に引きちぎられている」と危機感をあらわにしたアメリカの不動産王がいました。のちの第45代アメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプです。このときの経験が、大統領就任後の日本や中国との経済問題に対する強気の姿勢にあらわれているといわれています。”

”かつては当たり前だった終身雇用や年功序列も非効率的なものと見られるようになりました。”

本書では、過去の話ばかりではなく、随所に現在につながるエピソードが取り上げられています。
バブルの時代は、過去の話ではなく、当時に出来事は、現在、そして未来にもつながっています。令和時代に入り、再び、社会の情勢が変わってきそうな予感。これから、社会に出ようとしている若者、そして、もうひと花咲かせたいバブル世代にも、本書は大きなヒントになるのではないでしょうか。

西村克仁(著)/花伝社

要約サイト「flier」 中山寒稀担当書籍は、こちら
「企画のたまご屋さん」中山寒稀担当コラムは、こちら




# by fuyuci_nacayama4 | 2019-09-30 16:56 | 書評

アルバムを見直す

こんにちは。
今、ちょっと、気になっているサービスが、auの「おもいでケータイ再起動」。
電源が入らなくなったガラケーに充電し、中に眠っている写真やメールを復活させるというサービス。

なんとなく、携帯電話やスマホで撮った写真やメールって、そのまま、色あせることなく、いつまでもメモリーに残ってるような気がするんですよね。

でも、機械は永遠じゃない。
消すのも一瞬。
機種変したものの、写真が入ってるからと元の携帯電話を手元に置いて放置。気が付いたら、電源が入らなくなってたというのは、よくある話。

しかも、写真やメールって、その時はそれほど大切に思ってなくても、後になって、取り戻したいと思うことは、よくありますよね。

「パソコンにデータを写したから、大丈夫!」も、ちょっとアヤシイ。
機械トラブルやその他、モロモロの原因で、データが飛んでしまうこともある。
パソコンに保存なら、バックアップは必須です。

それを考えると、アナログのアルバムも見直したいところ。
写真を選び、プリントして、アルバムに貼る。
ちょっとメンドクサイ作業ではありますが、思い出を振り返る時に、パソコンに入ってる何千、何万の写真を全て見るかと言えば……しないですよね?
とっておきの1枚が、どこにあるかわからない状態に。

そんなわけで、世の中ではペーパーレスが進んでいますが、本当に大切な写真やメールは、ペーパーで保管することを見直してもいいかなと思う、今日この頃です。


# by fuyuci_nacayama4 | 2019-09-02 17:09 | 徒然なるままに
こんにちは。

すっかりご無沙汰してしまいました。
久しぶりの更新です。

この1年、介護や病気、人生、お金など、さまざまな人からお話を聞く機会が多く、考えさせられることが多々ありました。

初心に戻って、「終活ってなんだろう」を考えてみたいと思います。
終活は10人いれば、10人の考え方があってしかるべきものなので、あくまでも私の考え方なのですが……。

基本的に終活は、「生きている人」のためのものだと思っています。
自分が生きている時は、安心して人生の幕を閉じられるように。
自分がいなくなった後は、残された人が後悔することなく、前を向いて人生を歩けるように。

たとえば、今はめずらしくなくなった「直葬」。
賛否両論ありますが、生前に自分のお葬式を直葬に決めておくのは、決して悪いことではないと思います。
ただし、「よく考えた末の結論であれば」という前提で。

まず、旅立つ人が「直葬」を望む場合は、残された人が賛成してくれること。
そして、後悔したら立ち戻る勇気を持つこと。

お葬式をするのは、旅立った方の供養のためだけではありません。残された人の心を癒す方法の一つでもあるからです。
「お葬式をしなければいけない」というある種の使命感が、崩れそうな心を支えていたり、亡くなったことを受け入れる儀式でもあります。

また、直葬である場合、寺院墓地だとお墓に入れないなどの問題も出てきます。
「お墓も位牌も、残さないほうがいい」という風潮もありますが、故人を偲ぶ場所が欲しいという人も多いのが現実です。
そのため、残される人の希望も大切にしてほしいと思います。

そして、自分の死期を感じた時に、もしかしたら少し不安になるかもしれません。
心のよりどころとして、宗教を求めることもあります。
実際に、少しずつ病院でも宗教者がサポートするという動きがみられています。
不安になり、宗教色をなくした「直葬」に抵抗が生まれたのであれば、躊躇することなく、「直葬」の希望を撤回しましょう。

もし、残される人が「直葬」にしたいと考えている場合でも、旅立つ人が普通のお葬式を望んだのであれば、同じ理由により、できれば、その思いを叶えてあげてほしいと思います。
大切なのは、亡くなった後の実際のお葬式の形ではなく、亡くなる時に「安心できる形」にすること、そして、残された人の思いも大切にすること。

「直葬」も弔いの形の一つではありますが、「費用を押さえたい」「できるだけ、簡単に済ませてほしい」だけで決めるのはどうでしょうか。

終活で考えなければいけないことはたくさんありますが、自分がどんなことを望むのか、そして、残された人がどう感じるのかと思いをはせながら、ゆっくりと考えていくことをおすすめします。

# by fuyuci_nacayama4 | 2019-08-16 14:50 | 終活に思うこと

樹木希林さん


樹木希林さん_b0332373_22092159.jpg

こんにちは。
今年はなんだか、目まぐるしく季節が変っていきますね。

今、近所では彼岸花が満開。
赤い彼岸花はちょっと毒々しい印象ではあるのですが、私の好きな花の一つです。

さて、先日、樹木希林さんがお亡くなりになりました。
私は、有名人の訃報についてブログで書くことは好きではありません。
私が知っているのは、その人の人生のほんの一部ですし、特に芸能人、著名人に関しては、どこまでが事実かわからないから。

でも、樹木希林さんはファンだったので、ちょっと思いなどを…

今までの人生で、いろいろな人とお会いしてきて、人間は変わらないことが難しいということを痛感しています。
それは、立場や状況が変われば、背負うものが変わり、接する人が変わる。
周りの態度も変わるから。

ある意味、人が変っていくことは自然の流れ。

だから、樹木希林さんのように、「大物」と言われる立場で、スケジュールを自己管理し、
マネージャーを持たずに仕事をこなしていくことは、本当に大変だったと思います。
メールを使うのが当たり前の時代に、ファックスや電話でのやり取り。
もちろん、周りのサポートや理解があったからこそなのかもしれませんが、樹木希林さんの強い意思があったということは否定できません。

おごらず、威張らず、ナチュラルにしなやかに生き抜いた彼女に、私は素直に憧れると言える。

私自身、高齢者という言葉がそう遠い話ではなくなってきました。
ああいう風に生き抜きたいと、高齢者という世代に夢を持てるような気がしています。















# by fuyuci_nacayama4 | 2018-09-24 12:46 | 終活に思うこと